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八幡山城 豊臣秀次家臣団屋敷跡の竹林整備と市民が親しめる環境づくり /一般社団法人 秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会

事業の概要

滋賀県近江八幡市にある八幡山城(1585年築城)。豊臣秀次の居城であったため、南面のふもとには秀次家臣団の屋敷があったとされています。現在では一面の竹林となり荒廃しています。2016年にこの竹林は八幡山の景観を良くする会に譲渡され、整備と保全を目的とした別組織、一般社団法人 秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会を立ち上げました。夏原グラントのファーストステップ助成を受け2年間活動してきましたが、2019年度からは一般助成を受けての活動です。もともとタケノコ畑として管理されていたこともあり、子どもが遊べるくらい市民に親しまれる美しい竹林に再生していくのが目的です。

秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会の活動のようす画像A

2019年7月13日、滋賀県近江八幡市の八幡山城のふもとの公園に、秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会の活動を尋ねました。

秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会の活動のようす画像A
皆さんは毎月第2土曜日の朝9時に、近江八幡市立図書館の裏手にある公園に集合し、竹林整備作業を行っています。

秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会 代表の幸村和彦さんが受付をされていました。

秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会の活動のようす画像
公園には八幡山城と公園の地図がありました。オレンジ色が城主だった豊臣秀次の屋敷跡で、発掘されて館の遺物も見つかっています。八幡山城は険しいため、主にこの館で実務が行われていたそうです。黄色い部分が、竹林化してしまった家臣団の屋敷跡です。今日の作業は黄色い部分の一番下の周辺から入って行きます。

秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会の活動のようす画像
ヘルメットには「八景会」の文字。この八幡山の遊歩道整備を継続して行っている、八幡山の景観を良くする会の備品です。ここで活動している多くのメンバーは、例えば八幡堀を守る会など市内でさまざまな会を作り、お互いの活動に参加し助け合っているのです。

まず、朝のミーティング。今日のスケジュール確認をしました。また、熱中症予防対策を怠らないように飴やお茶が用意されていることも伝えられました。

秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会の活動のようす画像
ミーティングが終わったら、竹林目指して公園内の歩道を移動します。赤い機械は、新聞で呼び掛けたところ彦根市内の企業、三共が応じて寄付してくれたという、赤い竹粉砕機です。自走しています。

秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会の活動のようす画像
すぐに竹林が見えてきました。なだらかな斜面に竹がびっしり生えています。

秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会の活動のようす画像
粉砕機が橋を渡り竹林の入り口へ。

秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会の活動のようす画像
この道がかつての大手道だそうです。

秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会の活動のようす画像
竹林の端っこは、きれいさっぱり切り倒されていました。竹林の周辺には「関係者以外立ち入り禁止」のロープも張られています。今日は特別に中に入って取材させていただくことに。

秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会の活動のようす画像
手入れを始めるまでは、竹林に面した住宅に竹が倒れてくることもあったそうです。きれいに切ったので、周辺の皆さんにも喜ばれて、作業にも自治会から数名が参加してくれているそうです。

秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会の活動のようす画像
竹林に到着すると、皆さん手慣れた様子で、すぐに持ち場に分かれて作業開始です。丈の短い竹用チェーンソーで竹林の奥の方へ行き切り倒していく人と、竹林の周辺を草刈り機で刈っていく人、そして竹を粉砕する人。
竹の粉砕機が動き始めると、ものすごい音で竹を粉にしていきます。直径13センチの竹までOK。

秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会の活動のようす画像
粉砕された竹はこのようなパウダー状になっていました。もともと竹には乳酸菌がいるので、こうして積んでおけば発酵して堆肥になるのだとか。筍畑の筍のための肥料として周辺にまかれています。

秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会の活動のようす画像
筍のために「立ち入り禁止」のロープと札。しかし、イノシシが食べ荒らしに来たそうです。

秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会の活動のようす画像
法人を立ち上げてから今までの2年間は、夏原グラントのファーストステップ(規模の小さい事業や、組織立ち上げ時の助成)を受けながら毎月竹の伐採を行ってきたので、その期間におびただしい竹が切り倒され、積み上げられています。

秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会の活動のようす画像
竹の合間をよく見ると、石垣が! これぞ秀次家臣団の屋敷跡ですね。

秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会の活動のようす画像
八幡山城は1585年築城なので、その頃家臣の屋敷も建てられたのでしょう。豊臣秀吉が関白になった頃です。
この石垣は戦国末期に差し掛かる頃から、ずーっとここでひっそりと400年以上の歴史を見てきたのですね。

秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会の活動のようす画像
平らなところを奥へ歩いていくと、崖がありました。山の斜面を造成して屋敷を建てたことがわかります。

秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会の活動のようす画像
崖の上と下で、伐採作業が行われていました。

秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会の活動のようす画像
竹林は、傘をさしても通れるくらいの間隔があるとよいとされます。「そこまでは間伐できてないけど」とボランティアのお一人がおっしゃっていました。それでも、全く手入れされていない竹林は真っ暗でこんなに明るくはありません。

秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会の活動のようす画像
見上げると、孟宗竹がまっすぐに高く伸びていました。

秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会の活動のようす画像
「以前から長年行われてきた、八幡山の筍掘り大会は、今年この竹林で行いました。山だと斜面が急で危ないのですが、ここだと平らなので親子連れでも安心です。以前の地主さんが、筍畑をされていたので、筍畑を復活させるのが当面の目標です。

チラシや新聞記事で竹林整備ボランティアを募ったところ、あちこちから参加者が増えました。
いろんな団体から、毎月30名くらいの参加があります」と幸村さん。

孟宗竹の林をそのまま放置していると、周辺の住宅に倒れかかってしまうなど危険です。また、竹の破壊力は恐ろしいものがあり、竹林の中には他の植物は見当たりませんでした。秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会の皆さんの活動が、地域の文化財と安全を守るのがよくわかりました。これからも地域の皆さんが力を合わせ、息の長い活動を期待しています。

5 Comments on “八幡山城 豊臣秀次家臣団屋敷跡の竹林整備と市民が親しめる環境づくり

  1. 松村忠樹

    近江八幡旧市街に住んでいる者です。約半年前、新聞に秀次居館跡を綺麗に清掃整備していく記事が掲載され、とても興味を持っていました。八幡市民でも居館家臣団跡を知る人は少ないのですが、私は約40年前その史跡をある郷土史家から教わっていました。その歴史的価値を早く知ってもらうためにも、かつて近江八幡青年会議所の論文募集があった時、近江八幡観光ニュープラン構想と題し、その中で秀次居館家臣団跡を歴史公園にする提言もさせて頂いたことがあります。未だかつてその史跡は本格的に発掘調査された形跡はなく、今回、大変久し振りに居館跡付近まで出向いたところ、綺麗に整備されている貴会の活動に感銘を受けましたので、微力ながら参考になるかと思いコメントをお送りいたしました。東西300m、南北100mにも及ぶ広大な史跡であり、記録には千利休作定の庭もある他、金箔を施した居館であったようです。竹林公園を含めた歴史公園整備に期待しております。

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  2. しがNPOセンター 投稿作成者

    松村忠樹様

    コメントありがとうございます!
    秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会の皆さまにもこのコメント内容をお伝えしておきますね。活動にはずみがつくことでしょう。

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  3. 松村忠樹

    ありがとうございます。宜しくお願いします。

    返信
  4. 幸村和彦

    松村様

    この度は当会へのコメントを頂きましてありがとうございます。しがNPOセンターさまからのメールを読まさせていただきました。松村様におかれましては40年も前から秀次居館跡にご関心を持たれていたとのことで感慨深く是非共、ご面会の上、お話をお伺いさせていただければと願っております。当会は毎月、第二土曜日、9時から八幡公園に集合して活動しております。ご都合が良ければ是非、ご参加くださいませ。

    一般社団法人秀次家臣団屋敷跡竹林を守る会代表理事

    返信
  5. 松村忠樹

    メールありがとうございます。本当に突然コメントをお送りしまして申し訳なく思っております。毎月第2土曜日、秀次居館家臣団跡で活動されておられるとのこと。来月第2土曜日、8日都合がつけば、こんな私でよければお伺いいたします。皆様とお話しができるのを楽しみにしております。

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