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古道再生による里山の保全 /番場の歴史を知り明日を考える会

事業の概要

地元の小学生、市民が鎌刃城跡にトレッキングコースとして訪れるようになってきました。しかし、まだ霊仙山麓の広大な地域には廃村が多く、里山が崩壊しつつあります。そこで自然・文化の豊かなこの地域の古道再生トレッキングコースを開発し、マップを作成しイベントなどで啓発していきます。

番場の歴史を知り明日を考える会 活動のようす画像

 番場の歴史を知り明日を考える会では、これまで地元の中世城郭の鎌刃城跡の整備保存活動を通じ、里山や散策道の整備保存をされてきましたが、米原から多賀や彦根へ続く霊山一帯を新たなフィールドとして、古道再生をめざす「霊仙山麓トレッキング」を展開されています。
 今回、「霊仙山麓の古道を歩く」というテーマで、昔から生活道として使われてきたものの今は人知れず消えかけている山道のトレッキングです。台風21号の影響もあって、当初計画のルートが少し変更されました。参加者は40名。朝8時45分に鳥居本公園駐車場に集まった参加者は、受付を済ませ、マイクロバス2台に分乗し、出発しました。
 
番場の歴史を知り明日を考える会の活動のようす画像
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 河内の風穴で有名な多賀町河内の手前で下車。泉代表のあいさつの後、トレッキングの始まりです。河内にも多くの空き家が見られます。

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 台風の影響もあって、道路が車両通行止めになっています。落合集落に入りました。ここまでは、平坦な道のりです。

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 ここから彦根市の男鬼(おおり)へ向かいます。まだ道は平たんです。男鬼集落には、少年山の家があって、小学生が夏に訪れていたそうです。
 元長浜城歴史博物館館長の江竜喜之さんが、このあたりでの暮らしや廃村の歴史について話をしていただきました。男鬼だけでなく、米原市榑ケ畑(くれがはた)なども含めて、薪炭の産地で、山道を薪炭を背負って鳥居本まで売りに行ったそうです。エネルギー革命と交通革命によってだんだん人口が流失し、廃村に至ったとのこと。

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 男鬼集落のはずれの鳥居から比婆神社をめざします。ここからはかなり勾配もあって大変でした。社殿はまだ新しく、しめ縄の張り替えの方々とも遭遇しました。
 
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 男鬼から多賀町の入谷(にゅうだに)に向けて尾根伝いに進むと、男鬼入谷城跡があります。ここで昼食です。
 昼食後、米原市教育委員会の高橋さんから中世城郭としての男鬼入谷城の歴史的な位置づけなどの話を聞きました。大きな遺構として残っていながら、まだまだ謎が多いとのことでした。

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 ここからイワス山をめざします。イワス山は、原石山とも呼ばれ、セメント会社の鉱山で、今は廃鉱となっています。このあたり一帯は石灰岩が広く分布し、採掘されたものは約5kmの空中索道(ケーブル)で彦根まで運ばれていたそうで、その跡も残っています。
 
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 後は、鳥居本公園駐車場までを降りてきました。帰ってきたのが午後4時。参加者の皆さんの健脚ぶりは見事でした。
 この古道は彦根・米原・多賀にまたがっていて、また、廃村が多いため、なかなか里山や散策道の整備が行われていません。泉さんは、「多賀や鳥居本とのネットワークも徐々に始まっているので、このネットワークを活かして、整備に力を入れていきたい」とのことです。
 これまであまり人の入らなかったところへ入ることで、里山が守られ、新たな活用の道が開かれていくことを期待しています。

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